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GRist 篠原勝之さん

2015-05-28

今回ご紹介するのは、「ゲージツ家のクマさん」の愛称で親しまれる篠原勝之さんです。鉄の溶接で作品を作るイメージが強いですが、豊かな好奇心をエンジンにして様々なジャンルで創作活動に取り組んでいるクマさん。5月なのに30度近い暑さとなった東京銀座、リコーイメージングスクエアで、お話を聞きしました。

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■代表作はこれから作られる

野口(以下:野):5月15日、高知アクトランドに「KUMA'Sコンテナギャラリー」がオープンしました。鉄とガラスの作品の一部をまとめたギャラリーですね。大きな作品が多いので、運び込むのも大変だったのでは?

クマさん(以下:ク):そうだね。大きな作品はその土地土地にパーマネントに置いてきているから、そういうのは写真で展示してるけどな。

野:無期限展示ですよね、ぜひ一度見に行ってみたいけど、東京からはちょっと遠い。

ク:同じ高知の中村という場所、四万十の方には「うつろう」というデカい彫刻があるし、フィギュアで有名な海洋堂の「ホビー館 四万十」もあるからよ、旅としてぐるっと回ったらいいぞ。

野:クマさんの総合展ということになりますか?

ク:いやいや、あくまでも過去の作品を集めたものだからさ。オレの代表作はこれから作られると思ってるんだ。まあ、オレの作品は美術館向きじゃないから、よい場所ができたと思っているな。

野:クマさんのことは知っているけど、作品を見るチャンスがなかった人も多いと思いますから、是非立ち寄ってもらいたいですね。

■絵本作家からのスタート

野:クマさんといえば、鉄の溶接イメージが強いですが、ゲージツ家になるきっかけは?

ク:昔は絵本作家になろうと思って、3冊ほど自費出版したんだけど売れなくてな。うろうろしているうちに、紅テントの唐十郎と出会ってポスターを描くようになり、舞台装置を作るようになったんだ。

野:ポスターは今でも根強い人気がありますよね。

ク:うん、それで、舞台装置をやっているときに、唐から大きな木ネジのようなものを作りたいと言われて、旋盤工場に通っていろいろ教わってるうちに、鉄って面白いなあと思いはじめたんだ。

野:製鉄の町である室蘭で育った血が騒いだんでしょうか?

ク:なつかしさはあったね。それに、鉄屑はそこら中にあるから、溶接機さえ買えば何かできるなと思って鉄に入っていった。その場その場で、面白い方に流れていくタイプなんだよ、オレは。

野:それがクマさんがいう、いわゆる"鉄器時代"の幕開けですね。そんなクマさんを、広く一般の方が知ることになるテレビ出演のきっかけは?

ク:書くことは好きで、エッセイ『人生はデーヤモンド』を書いたらちょっと売れたんだ。それをフジテレビのプロデューサーだった横澤彪さんが見つけて、テレビに出てみないかって。

野:「笑っていいとも」出演は、あの有名プロデューサー横澤さんがきっかけなんですね。

ク:そう、最初は、オレはタレントじゃないからと断ったんだけどよ、「これからは人に見られて、その見られた分を照射し返していくような芸術が大事なんだ」とかうまいこと言うんだよ(笑)

野:うまく乗せられた?(笑)

ク:うん、そんなもんか?と説得されちゃってよ。でもテレビの力って大きいから、タレントとしての顔が強くなり過ぎて、タレントが変なモノ作っている、と見られるようになったけどな。

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■地球に目印を付ける

野:クマさんが言う「地球に目印を付ける」とはどういうことでしょう?

ク:スクラップ場にいってスクラップの山に登って眺めてると、なんか世界の動きとか経済が見えるような気がしてくるんだ。そんなときに、溶接機を持って世界の広大なところに行って、そこにある鉄屑を使ってオレの痕跡というか、目印を立てにいくのはいいなあ、と思ったんだな。

野:最初に行ったのがサハラ砂漠ですね。

ク:そう、ラクダのキャラバン隊のための巨大な井戸への道標のようなものを作った。次に、モンゴルに行ってゴビの風を受け止める鉄の大きなオブジェを作った。全部スクラップだけどね。

インドのダラムサラに行った時は、空港からの道々で蹄鉄とか中華鍋を拾って軽トラに積んでいって、宇宙卵というオブジェを作って、ダライ・ラマ法王に献上して帰ってきたよ。

野:海外のが評価される?

ク:評価されるというか、面白がってくれるな。美術とか現代アートとは無縁に生きてきたから、そういうものに評価されたいとは思わなかったし。

野:そして、そのあと、欧州に行くんですね。

ク:テレビも止めて50歳くらいに、イタリアのミラノギャラリーで、次はベネチアで、個展をやった。50作品くらいを、ものすごい金かけて日本から運んだんだ。面白がってくれたんだけど、運送に費用がかかり過ぎてビジネスにならないから欧州で活動した方がいい、と言われてな。おれはビジネスに興味があってやっているわけじゃないから、ああ、ここはオレのいるとこじゃないなと思って帰ってきた。

野:もうちょっと小さい作品ならいいんですけどね(笑)

ク:そういうのはオレの寸法に合わないからさ。(笑)

■ゴミ箱のピンホールカメラ

野:写真との関わりについて教えて下さい。

ク:戦争終ってすぐの子供時代、編み物が好きだったんだ。でも親父に怒られてね。「男の癖に」と。それで、親父に見つからないように、大きなゴミ箱に入って編み物やってたんだよ。

野:ほぉ、編み物少年ですかぁ。

ク:社宅の大きな木製のゴミ箱だから、中はコールタールが塗ってあって、そこに小さな虫食い穴があいてるんだな。それがピンホールカメラになってよ、編み物やっていると逆さまの像が内壁に映るわけ。それを見ながら編み物やって。

野:凄くロマンチックですねぇ、臭そうだけど(笑)

ク:一時、車の荷台に乗せた特大ピンホールカメラを作ったこともあったんだよ。まあ、そういうのもあって、カメラってのは昔からの憧れだったってことだな。

野:初めてのカメラは?

ク:マミヤフレックスC2、25~6歳の頃か。これを買うために、糞溜の内壁をスコップで削り落とすバイトをしたんだ。その後は、ずーっと遠ざかっていたんだけど、GR DIGITALに出会って再燃。いまではすっかりカメラにはまっているよ。

野:GXRも使っていただいてますね。

ク:GXRは、50mm付けてたけど、最近はフォクトレンダーを付けて撮っている。マニュアルでピントを掴む感覚が面白いな。

野:Facebookなどにも、写真をたくさんあげてます。ネットは積極的に活用している感じがしますが。

ク:昔は、秋葉原の電気屋の店員と仲良くなって、ガラス炉をコントロールするソフトを作ってってもらったりしたんだ。カメラで炉の様子を遠隔で見られることもできた。そんなこともあって、あまり抵抗感はないな。

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■今にどう向き合うか?

野:好きな写真家は?

ク:以前、セバスチャン・サルガドの写真集を古本屋で見たときは、衝撃だったな。

野:どういうとこに?

ク:世界をしっかり捕まえている感じというか。写真は、おれにとっては何を撮るかが大事。だから、写真を鑑賞するときも、そいつが時代と向き合うところが面白いんだよ。

野:今しか撮れないから、その今をどう捉えているか?ですね。

ク:おれは、作品作りで自己表現したいと思ってはいないからな。モンゴルでも、ここを羊の群れが通るといいなとか考えながら、道標を作ったんだ。

野:そこの場にあってこその作品、美術館で展示したら違うものになってしまうと。

ク:そう。以前、オレの作品を、ゲリラが持って行ってしまったことがあるんだ、あっちでは鉄は貴重だからな。でもまあ、それはそれでいいじゃねえかと(笑)

野:それも、その場にあったからの結果、ということなんですね。むしろそうなる運命も含めての作品という捉え方。なくなっちゃったのは残念だけど。

ク:テレビスタッフが撮ってくれたから、写真だけは残っているぞ。

野:ゲージツ家という言い方も、自己表現じゃない、風景と一体となった足跡作り、そんなメッセージですか?

ク:まあそうだな、スカしたアートじゃない、という。ただ、最近はカタカナのゲージツ家ということさえ気恥ずかしくて、ほとんど使っていないんだ。まあ結局、クマという奴、ということなんだ。

■他のアーティストについて

野:好きなアーティストはいますか?

ク:ドイツに住んでいる塩田千春さんの作品が好きだ。インスタレーションなんだけど、赤い糸や黒い糸の無数の線で構成しているものとか、世界中から使わなくなった鍵を集めた作品もある。今年のベネチアビアンナーレにも出ていたな。

野:どの辺が、ツボにはいりますか?

ク:アイデンティティも含めて今ここにいるというのがヒシヒシと伝わってくる。オレはそういうのが好きだからな。現代アートは、もっともっとこの時代に向き合わないと。飾り物作ってもしょうがないんだ。

野:社会への関心、被写体あっての写真と、通じるところかもしれませんね。

ク:写真はまだわからんけどよ(笑)

野:でも、クマさん、写真をめちゃくちゃ楽しんでる。

ク:砂漠やモンゴル行ってた頃、あの時カメラ持ってたら、どんなものが撮れたかなあと思うんだ。悔やんでもしょうがないんだけど。だから今、夢中になって撮ってる。

野:どんなものを撮っていきたいですか?

ク:気象写真というのか、そのときの空気や環境がオレらに与える影響みたいなものが写真に収まったらいいな。スカした環境写真みたいなのには興味ないから。

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■小説、そして絵本へ

野:短編集の出版準備中とのこと、どういう本になりますか?

ク:おれは家出少年だったから、自分の家族と別れてきた関係をベースにしたフィクションを書いたんだ。自伝でもなくエッセイでもなく小説の形。すでに発表したものに書き下ろしを加えて、9篇くらいで構成している。すっぱい話ばっかりだけどよ。

野:文芸春秋から7月発刊予定ですね。タイトルは? 

ク:まだ決まっていなくて、今、考え中。

野:北野武さん、タモリさんをはじめとして、多くの方と交流があるクマさんですけど、その中に僕の好きな作家の深沢七郎さんとも関わりがあったというのを何かで読んだのですが。

ク:うん、深沢さんが運営してた大宮の菖蒲町(現久喜市)のラブミー農場で、力仕事を手伝ってたことがある。

野:なるほど、その辺りでも、いろいろ面白い話がありそうですね。

ク:オレがやんちゃだった頃だからな。

野:ところで、今年、2015年は、KUMA'Sコンテナギャラリー開設から小説の出版と、忙しいクマさんですけど、その次の目論みはありますか?

ク:絵本を描こうと思っているんだ。ミミズとか蛙とか球根とか、土の中の物語。

野:おお、ついにスタートとなった絵本に戻るんですね!

ク:うん、それをリトグラフで作って印刷して出してみようかと。

野:それがクマさんの代表作になる可能性もある?

ク:そうだな、今度出す小説かもしれないし、絵本になるかもしれんな(笑)オレは、死ぬ時に「あの人はいろんなことやってきたけど、死ぬ前の3年間くらいで一番凄く良いものを作ったな」と言われたらいいと思ってんだよ。

■お気に入りの一枚
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~取材を終えて~

気取らず大らかに自然に向き合う姿勢は、クマさんの作品作りに対するスタンスでもあり、人柄そのものでした。だから、多くの人が魅了されるんですね。多くの作品で地球に足跡を付けてきたクマさんが「代表作はこれからできる」「死ぬ前3年に良いものを作りたい」と、ニコニコ笑いながら、さらっというのがとても印象に残りました。これからの活動に益々目が離せないですね!

■プロフィール
篠原 勝之・KUMA(しのはら まさゆき)
1942年、札幌に生まれ鉄の街・室蘭に育つ。グラフィックデザイナー、絵本作家、状況劇場のポスター、舞台美術を手がけた後、エッセイ「人生はデーヤモンド」で注目を集める。1986年、〔KUMA'S FACTORY〕設立。
廃鉄の溶接に始まり、鋳物鉄、ガラス、土、石などを素材に光・風・水・土や自然が放つエネルギーに呼応するダイナミックな造形を国内外で精力的に創作し続けている。「フォルムだけが全てではなく、創る過程や対峙する自然、人、時間の流れも作品。」の真骨頂である"ゲージツ"はマンハッタン、モンゴル、サハラ砂漠、インド、フィンランドなど国境を越え、「地球に目印を付ける。」独自の創作スタイルを貫いている。2002年、欧州コンテンポラリーアートのムーブメントを支えるMUDIMA財団の招待でミラノにて個展を開催。「現代美術の流れを変えるかも知れない作家の出現」と関係者の注目を浴びる。以降、ベニス、パリ、(2003)ニューヨーク(2005)など海外でも発表の機会を得、作品の無国籍な力強さと圧倒的な存在感が評価されている。
http://www.kuma-3.com/

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